言葉

誰にでもあることだと思うのですが、人は、特に子供の頃、言葉を取り違えたり、全く別のものを頭に浮かべたりします。

私は子供の頃、執事と聞くといつも羊が頭に浮かびました。 

ただサウンドが似てるというのと、子供の頃に執事のイメージが全くなかったからだと思います。

言葉というのは、変なもので、それを完全に受け入れている場合は、羊は動物の羊でしかないのですが、例えば、日本語を学んでいる外国人にとっては、Hi-Tsu-Ji、はただのサウンドでしかありません。子供と全く同じです。

先日、日本在住で日本語勉強中のアメリカの学生のジャズピアノのレッスンをしていて、何の話からか、「目から鱗」を説明したくなったのですが、英語も交えて、説明に15分くらいかかりました! この頃、大学にも留学生が多くいるため、何かの日本語を説明していて、サウンドだけを聞いてこれ、何でそう言うのだろうと自分でも不思議になることがあります。先週も中国の学生に「上の空」の意味を説明していて、自分で「うわのそらってなんだ??」となって検索しました。 (これ、心が空の上に上がってしまうことからきているのですね!!) 

何回となく使っているから、そんなもんだと思っていても改めてサウンドを考えてみると、何じゃ、これ?ってなります。

瞑想の修行で、一つの言葉を1000回くらい繰り返すと言うのがあるそうです

繰り返しているうちに、言葉が意味を失い、サウンドだけになってくるそうです。やったことはありませんが想像はつきます。1000回繰り返すと、自分の言っている言葉が、なんじゃこれ?になるのだと思います。

ただ、その「なんじゃこれ?」も、意外と面白い部分もあります。 

私は仕事などで外国にいて、現地の言葉が全くわからない環境でよくホテルでテレビを見ます。ベトナムにいて、全くベトナム語はわからないのですが、ひたすらベトナムのドラマなどを観ます。きっとドロドロ系の恋愛ものかも、とか全くの想像です。しかも、わからないので、最後は、内容とは全然関係なく、「この人は今朝何食べたのかなあ、やっぱフォーの朝ごはんかな」とか関係ないことを思い始めたりもしますが、、でもこれはほぼ、この瞑想の修行と似ていますよね。そして、時々ですが、「あ!今きっとこれを言ったに違いない」という感覚さえ出てくる時があります。

そう言う意味ではこの「何を喋ってんだろう」と言う気持ちは、知らない言葉を感じることにとても役に立つものではないかと思っています。 昔アメリカに住んでいた頃に、英語が全然できない日本人の男性とアメリカ人の女性が付き合って、なんと痴話喧嘩をすると言う奇妙な話を聞いたことがあります。そんなことも考えると、言葉はもしかして、語源とか意味よりも、「サウンド」なのかもしれません。サウンドがあって、後で脳が意味を後付けしているのかも、、

結局は、母国語の会話であってもそうでなくとも、「この人は何が言いたいんだろう?」という純粋な気持ちで聴かないと、コミュニケーションは成り立ちません。

音楽にも同じことが言えるように思います。

この音楽は理解できないとか言うのをよく聞きますが、じゃあ、自分が慣れている音楽は理解しているかというとそうではなくて、日本人にとっての「上の空」と同じように、何回か聞いているので親近感があるだけかもしれません。

音楽も言葉なので、どんな音楽を聴く場合でも、「理解」するのではなくて、「何喋ってるんだろう?」と思って聴くと、ふっと波長が合って、ベトナムのドロドロ恋愛ドラマのように何かを感じられると思います。 結局は、母国語の会話であってもそうでなくとも、「この人は何が言いたいんだろう?」という純粋な気持ちで聴かないと、コミュニケーションは成り立ちません。 この純粋な気持ち、言葉でも音楽でも大切かもしれません。