このブログで頻繁に出る料理の話ですが、この頃日本ではカツオが豊漁だそうです。先日もスーパーで美味しそうなカツオのお刺身が安い!食べたいと思って買ったは良いのですが、カツオは食べたいもののその日に限って食べたいもののイメージが湧きません。ただぼやっと、このカツオをカルパッチョみたいにしてパスタと和えたらどうなるだろうと思いました。ただ何となく、カルパッチョとパスタのぼやっとしたイメージだけで、これといった味の予想もなく、その夜作ってみました。またシソかなんかを入れたら良かったのかもしれ得ませんが、なぜか茗荷を入れてしまい。パスタも冷製にはしたのですが、何より、パスタとお刺身の食感が合いません!!
と言うわけで「まずい!大失敗!!」結局、カツオだけ食べました!ならばカルパッチョだけにしておけば良かった!!
時々、アーティストにも似たような考えで作品を作ろうとしている人を見かけます。
取り立ててこれといったイメージはないけれど、「これとこれを混ぜると面白いのではないか」、、それがアートではないかと言う人さえいるかもしれません。
勿論、世の中、特にアートの世界は100%自由なものですのでこういう物の作りかたをすることを否定はしません。
でも私はそういう作品には全く魅力を感じません。 新しいものを生み出してきたアーティストは、誰もきっとその人なりのロジックやイメージが色濃くあったはずです。ベートーベンは交響曲に行進曲を混ぜました。いわゆる「第9」の途中のトルコの行進曲の部分のことなのですが、実は彼は作曲で悩みながら友人に、トルコの行進曲を使ってみようと思うと手紙に書き残しています。きっと彼なりの天才的なロジックがあったし、それを考えるのに長い時間を費やしたのでしょう。印象派の作曲家もそれまでとは全く違ったハーモニーや曲調を創り出しましたが、そこには彼らの深いイメージとロジックがあります。
これ以上書いても、音楽をやっていない方にはただ、「へー!」で終わってしまいますよね。
ですので、音楽をやっていないリスナーと同じ立場に私がいるような世界の話にします。 絵画です!

以前のブログを読んでいただいた方は見ているかもしれませんが、もう一度載せます。私が書いた「バッタ」です。この絵を書く私ですから、絵心はゼロ、絵の技術的な知識もゼロです。ただ、Bostonに長年住んでいましたので、何回となくボストン美術館とか、ツアーの際に行ったスペインのGuggenheim 美術館とか、NY Metropolitan, MOMA、数々の場所で絵やビジュアルアートをみました。 多くの場合、難しい絵になると、「なんじゃ、こりゃ?」となります。意味わからんな、、と感じることさえあります。
そうなのですが、例えばゴッホの絵を見て、ただの思いつきで書いたとは完全素人の私にも思えません。デフォルメというのもが、絵画の中でどんな効果があって、それをどんなタッチで描くとどんなインパクトを見るものに与えるか。私にはわからない世界ではありますが、きっと彼の中で計算し尽くされて(または感覚の中で、それを感じて)作られた作品なんだろうなということが確実に伝わってきます。ピカソだって、ダリだってフェルメールだって、よく理解はできないのですが、それぞれアーティストによって、何かグッと迫ってくるような感覚を与えてくれます。

アーティストは別に学校のように自分のロジックを証明する必要はありませんから、時々アーティストから出てくるロジックの説明はその人にしかわからない言葉であることも多くあります。私の大好きなジャズのOscar Petersonと言うピアニストは、sostenutoと言う真ん中のペダルを踏んで早いパッセージをピアノで弾くとうねりが出る、と言っていましたが、実は私、ピアニストですから何回もそれをやってみたのですが、彼が何を言っていたのか、未だに全くわかりません、
アーティストの頭の中にあるその人なりの方向性やロジックやイメージですから、説明されてもほとんどがわからないものばかりです。
ただ、1つ確実に言えることは
こんなに絵心のない、絵画も世界が全く理解できない私でも絵を見て、これ好きとか、何とも言えない感じが迫ってくるとか思いながら絵画をエンジョイすることはできるし、
ちゃんとコンセプトやロジックを持って作られたものは、本物として感じられると言うことです。
これを考えると、返す返す、カツオのパスタ、やばかったです!2度とああいう思いつきの料理は作らないようにしたいです。
そして当然、音楽はどんな奇抜なことをしようと、ちゃんとロジックとイメージを持って作りたいなと思います。